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 近年、産業遺産や近代化遺産の価値が再認識されるようになってくるとともに、その注目度もグングン上がってきている軍艦島(長崎県長崎市端島)。最近は、テレビ番組でも取り上げられることが多くなり、同島を訪れる観光客の間に女性の姿が目立つようになった。現在、長崎港からは、4社が観光クルーズ船を運行している。

【その他の画像はこちらから→http://tocana.jp/2015/05/post_6344.html】

 短期連載の1回目では、観光上陸することのできる島の東側にスポットを当ててみた。今回は、高層住宅群や映画館跡、神社・寺院跡、商店街跡などが残されている島の西側にスポットを当ててみたいと思う。

 まず、注目しておきたいのは、65号棟(通称・報国寮)や日給住宅(16~20号棟)、70号棟(端島小中学校)だ。軍艦島最大の建築物となっている65号棟の総戸数は、300戸以上で、上から見ると「コの字」型をしている。北側にある建物(旧棟)が建てられたのは、昭和20年(1945年)のことになる。物資の乏しい時代にこの建物が建てられたことは、軍艦島から産出される石炭(強粘結炭)が日本にとって重要な役割を担っていたことを物語っている。

 大正7年(1918年)~大正11年(1922年)にかけて建てられた9階建ての日給住宅(16~20号棟)は、当時、国内最高層のアパートとなっていた。建物の右側が吹き抜け廊下となっていて、左側がベランダになっている。間取りは、6畳+2畳+土間兼台所~8畳+4.5畳+土間兼台所(2K)で、日給をもらう鉱員が住んでいたことから、このように呼ばれていた。

 昭和32年(1958年)に建てられた70号棟は、当時、国内で最大規模を誇る小中学校で、1~4階までが小学校で、5階と7階の一部が中学校だった。同校が発足したのは、明治26年(1893年)のことになる。当時は、三菱社の社立小中学校となっていた。高島町(へいせ17年に長崎市に編入)の町立小中学校となったのは、昭和22年(1955年)のことだった。

 現在、軍艦島は、『明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域』の構成資産の一部として、今夏の国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産登録を目指している。同島は、国の文化財(史跡)に指定されていることから、島を形成する要素となっている護岸については、優先的に整備することが打ち出されていた。…

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