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 戦時中、非公式ながら捕虜たちがオリンピックを開催していたという事実を知っているだろうか?第二次世界大戦の勃発とともに、世界はどす黒い敵対意識に包まれ、1940年に東京で開かれる予定だったオリンピックは、日本政府が開催権を返上、実現には至らなかった。この時までに、各国の分裂は決定的になったようだ。
 この状態は1944年のロンドンオリンピックまで続いたが、ポーランドのある捕虜収容所が伝統をよみがえらせようとした。「ヴォルデンベルグ・オリンピック」は、そんな狂った時代において、仲間意識や平時の状態に飢えていた、捕虜だけで作られたオリンピックだ。
 2004年、NBCのドキュメンタリーで放映された内容によると、ドイツ管理下のオフラグ(将校収容所)に収容されていたポーランド人将校たちが、母国のアスリート、ヤヌス・クソチンスキーを悼み、1940年に秘密裡に非公式オリンピックを開いた。
 ヴォルデンベルグの看守は44のイベントを行うことを許可した。ただし、フェンシング、アーチェリー、槍投げ、棒高跳びはなしという条件だった(捕虜たちに逆襲されないようにするためと思われる)。
 音楽、アート、彫刻なども披露され、囚人たちは自分たち独自のプログラムを作ることや、収容所の郵便局の厚意によって記念切手を発行することまで許された。オリンピック旗は、スペアのベッドシーツからうまいこと作られ、スポーツマンシップに感化されたドイツ人将校たちも実際に敬礼した。
[画像を見る]
シーツで作られた手作りの五輪旗
 7000人の捕虜のうちおよそ369人が参加し、ほとんどの選手がハンドボールからバスケットボール、果てはチェスまで、複数の競技に出場した。ボクシングもあったが、捕虜たちの体力が弱っていたため、骨折が相次ぎ、試合は早く決着がつく結果になった。
 ほぼ同じ頃、別のポーランドの捕虜収容所、グロス・ボーン(収容人数3000人)でも、独自のセレモニーが行われ、優勝者はボール紙で作ったメダルを授与された。オフラグと共にもともとは将校用の収容所だったため、ドイツ側も肩書きのついている捕虜たちに一目おいていたせいもあって、こうしたことが許可されたと思われる。
[画像を見る]
 両収容所のこうした草の根的なオリンピックは、更に4年後、1944年7月と8月にも行われた。1945年1月までに、それぞれの捕虜たちは収容所から移送されることになり、この死の行進の間にどれくらいの数の死者が出たのかはわかっていない。…fullrss.net]]>
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