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 特に世界史の分野では、めったに見ることができない貴重な写真がネット上では日々公開されている。今回もまた、非常にレアな世界の歴史的写真が集められていたので見ていくことにしよう。

■ 1.ヒトラーと元大統領ヒンデンブルク(ドイツ・ポツダム1933年3月21日)
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 この写真はナチスがプロパガンダに使用した事でも非常に有名だ。ヒトラーはヒンデンブルク政権のもと1か月半の間大臣を務めたが、ヒンデンブルクはあまりヒトラーのことを良く思っていなかった。当時の総選挙でヒトラーとヒンデンブルクが善戦し、ヒンデンブルクは過半数の投票を獲得する事が出来ず、投票率上位三名による決選投票が行われた。この写真は当時ナチ党が「過去の政権を継承する」という意味合いを強める為に使われたそうだ。つまりヒトラー政権のイメージ戦略により国民は「ヒトラー政権は戦後の復興を成功させたヒンデンブルク政権(共和制)を継承する力のある党である」というイメージを持つようになったのだ。

■ 2.オピウム(アヘン)・パーティー(フランス1918年)
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■ 3.太平洋での戦いに参加したアメリカ兵が「ヨーロッパの日」となる勝利を収めた事をラジオで聞いた時(1945年5月8日)
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■ 4.ビーチ一つを手に入れる為の代償(タラワのアメリカ海兵隊1943年11月)
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■ 5.連合軍に捕らわれた為、シアン化物による薬物自殺を行い、床に倒れたハインリヒ・ヒムラー(1945年5月23日)
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 自国から必要とされず、連合軍からも追われる身となったヒムラーは身を隠す事を決意した。いつかこの日が来ることを予想していたヒムラーは、「ハインリヒ・ヒッジンガー」という架空の人物の給料明細等を記したノートを持ち、数人の部下を引き連れ5月11日にフリードリッヒシュコオクから南へ、あてのない旅へと出かけた。
 ノイハウスで幾つかのグループに別れた後、ヒムラーは二人の部下と共に更に南下したが、6月21日に連合軍に発見され、拘留された。それから二日間ヒムラーは幾つかの連合軍キャンプに移動させられ、最後にリューネブルクの収容施設であるイギリス陸軍31番キャンプへと連れていかれた。
 収容施設で尋問を担当していたシルベスター指揮官は他の収容者と同様にヒムラーに尋問を行った。ヒムラーはそこで自らの素性を明かし、それを受けてシルベスターはリューネブルクにあるイギリス陸軍第二番本部へとヒムラーを連行した。…fullrss.net]]>
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